Wordで作るうちわ

https://www.mccoy.jp/mt/blog/diary2006/up/utiwa.jpg

川口駅でうちわを配っていたので、一個もらってきた。もうすぐキャンプなので炭火起こしに使うかと思ったからだ。
うちわを作るためのキッドというのが売られているが、700円もするのでもったいない。タダでうちわが手に入ったので、そこにWordのオートシェイプでうちわを描いた。ドローソフトやCADでやれば超簡単なのだけど、そこは一応WordのMOTですんで(^^; 無理して面倒くさい道を選んだというわけだす。

絵はマスターんとこから持ってきた。自分の夫の写真をほかのブログから持ってくるというのもおかしな話だけれど、手っ取り早く(^^;
ジャンを切り抜いて合成。これはPhotoShopで
最後に、Wordのオートシェイプの中に画像を放り込む
印刷してから切り取り、既存のうちわに上に貼る。
超手抜きうちわのできあがり
雨にぬれてもいいように表面は、ラミネートして仕上げた。

ピアノ発表会

教室の発表会が9月3日と決まった。場所は誰にも教えない(^^;
発表会は年2回ある。地元の教室と栃木県(先生の地元)だ。
選曲は「テネシーワルツ」と決めていた。簡単だから。
先生は「ダメ」と言われた。テネシーワルツは誰でも弾けるから、自分でアレンジした「Love」」を弾くようにと・・・・・・一人でアドリブを作ってしまう生徒はあまりいないので、珍しいのだそうだ。
くそっ 目論見は却下された。はじめての発表会なのに

私は、「ではAin’t MISBEHAVINにしてください」と、頼んだ。前回譜面もらったばかりでまだぜんぜん弾けてないくせに。
どうせ恥をかくなら、思いっきりジャズで行こうと考えたのだ。
ものすごく無謀なことを言ったものだと、今では激しく後悔している。
が、もう遅い。言葉はクチから飛び出してしまったのだ。
一ヵ月後まで死ぬほど練習するっきゃない!

困るのは忘れることだ。
今日も、後の生徒と、前の生徒に聞かせるという。「本番のつもりで弾きなさい」と言われて、弾き始めた。暗譜はしていたし、乗りのりで弾いていた。
途中で急に思い出せなくなって、パタっと弾くのをやめてしまった。
本番にもこういうことが起こりそうな気がする。
あがらないためにはどうしたらよいのだろうか?

東京メトロ小さな旅

https://mccoy.jp/mt/blog/diary2006/up/06707-1.jpg

【防衛庁上空】
北朝鮮からミサイルが7発も飛んできたせいか?今日は二度も自衛隊のヘリを見かけた。
防衛庁上空と鳩ヶ谷駅でバスを待っている間である。

【ヘンなバス運転手】
マイクを通して後ろの私に話しかけてくるのだ。
“ヘンな奴ぅ〜”と思ったので、そっとカメラを取り出した。はげ頭(帽子をかぶっていたけど)を撮ってやれと思ったのだ。
そしたら、なんと相手はバックミラーから私を見ていた。
「奥さん、写真とるならこっちへおいでよ」と、運転席の隣へと誘う。
あわててカメラをしまった。
お次は、「デジカメはいくらするのだ?」と、これまたマイクを通して話しかけてくる。
「20万!」と、○ひとつはおまけして答えてやった。
驚いたことに、次から次へとマイクごしに話かけてくるヘンな運転手。
箇条書きにすると

  • 三味線を修理に出している。津軽三味線を習っているのだという。ピアノを習っていることは黙っていた。話が長くなると困るからね。
  • 修理代が18万円かかったので、女房が怒った。給料より高いからだ。
    嘱託なので自分の給料は14、5万くらいしかない。等々

ほかにもいろいろ言っていたが、忘れた(^^;

バスの車中はいろいろあって、ときには面白く、時には疲れる。
ブツブツと独り言をいう奴もいるし(^^;

コードを覚えろ

今日はピアノレッスン日。体調はあまりよくないが、なんせ月2回しかないレッスンなので、「イテテ」と一人叫びながら運転をして、東川口まで行ってきた。

新しい曲をもらった。
Aint Misbehavin というタイトルだが、【浮気はやめた】って意味らしい(^^;
Love がアップテンポだったのに比べ、こちらはスローな曲だが、コードが滅茶多い。
先生は「本当はコードを覚えてから曲をやるのだけれど、それだとつまらないので続かない。だからメロディもつけてコードを覚えるのです」と言われた。納得
テンションもビンビンと入ってくる。なにを隠そうジャズのサウンドがかっこいいのはこのテンションのせいなのだ。
魚!ひとつの小節に3つもコードがあるっ(タラ〜)
それも、一度に4つも押さえるのがいっぱいある。ふ〜か〜いため息。
6thコードが多いみたいだけど、先生は、6が好きなのだろうか?
(注:6じゃなく♭だったけど(^^;)

ジャズは、コードコードコード、ひたすらにコードを弾くのだ。
スタンダードなコードに、いろいろな音をくっつけて面白い料理に仕上げる。不協和音のような妙な音は、ジャズの最大の味でもある。
だから「好きな音を入れて、自由にやってこい」ということになる

胸骨の痛み

昨日の午後から痛み出し、就寝時間には痛みがピークになり、痛みで一晩中眠れなかった。
なんせ呼吸するごとに痛いのだ。いてぇよ〜

土曜は厚生年金病院の伊藤先生が草加に来る日。朝一で診察を受けた。
レントゲンと血液検査を行ったが、骨が溶けているようなことはないということでひと安心。
私には前科があって、肋骨を3本なくしている(^^

病名はなんだか難しくて覚えられなかったが、胸骨の根元が炎症するというものらしい。
ひどくなるようなら、アイソトープというもう少し詳細な検査が必要になる

英語で日記?

偉そうなタイトルだけど、わたしの英語力は中学生なみ。
「今日は○○を30分勉強した」程度のことしか書けそうににないが、せっかく英語圏の無料ブログ(diaryland)を苦労して設置したのだから、もちっと続けよう。
挫折した英語日記を今日再開。1日1文でもいいからやっていく覚悟(ウソ)(*^。^*)
このダイアリィランドのブログは、無料版だと画像も挿入できないし、コメントも受け付けない。チョットなさけないけど、英語の勉強用にはいいかも知れない(^^;
こんなの使おうっていうもの好きいるのかな?あ、ここにいたわ。

初めてのブログ

とっても恥ずかしいのですが、これが私が初めて作ったブログです。ジャンがいるのでまだ2年前くらいなのかな。
ブログはぜんこうさんから教わったので、最初はGooで始めました。
それから、Movable Typeを見つけてきて、いろいろこねくりまわして現在に至っております。

さよなら啓子さん

「生徒」というより「友」だったのかも知れない。そんな存在だった。
今朝電話をもらい、電話口で絶句した。
あまりにも早い、早すぎるよ!啓子さん。

猫が大好きで「8匹も飼っている」という、啓子さんのホームページはここ。最後まで、自分の命のことより、猫のことを心配していた。

啓子さんは、まじめでがんばりやさんだった。
車で30分もかかるところから休まずに4年も通ってくれた。
初めて来たときには、パソコンを触ったことがないまったくの初心者だったが、Wordをやり、Excelをやり、ホームページまで作れるようになった。
教室が1年間休業したときには、他所へ行っていたようだが、再開するとまた来てくれた。
タイピングページの常連でもあり、本当にがんばっていたのだ。
4月に最後に電話くれたときにも「早く教室に戻りたい」と言っていたのに・・・もう帰ってこれないんだね。

まじめ啓子さんと、啓子さんの友人まさこさん、私とで、時々さぼって食事に行った
授業をサボることを提案するのは、いつだってまさこさん。
最後に食事をしたのが昨年の8月。そのときはお寿司を1人前平らげた。食欲はちゃんとあった。
しかし、昨年は、恒例の3人忘年会はできなかった。なぜなら秋に検診で胃癌が見つかってしまったのだ。
「必ず戻ってくるから」と、言い残して10月から彼女は休みに入った。
入院しても手術するわけではないので、3日で退院してきたと、電話口で笑って言った。
いつも口癖は「はやくパソコンに戻りたい」
このブログを見るのが楽しみだとも・・・・
この記事もきっと天国で見てくれるよね。

抗がん剤で毛が抜けてしまう、というので、私は帽子を編んでプレゼントした。
クリスマスには、せめてものなぐさめにと、踊りながら回転するオルゴールを送った。
年末に、その帽子をかぶって私のところにやってきた。帽子をとって見せてくれた痛々しい頭。
それでも元気そうだったのに・・・
「桜が咲くころには教室に帰ってこれるかしら」と、期待と不安が入り混じった表情で言った。

3月に手術をしたと聞いて、少しほっとした。手術さえできれば悪い部分を取れるのでは?という思いが、啓子さんにも私にもあった。
4月になって彼女から電話が入った。
だんな様が癌になって入院してしまい、12時間に及ぶ大手術をしたのだという。
その間、猫が心配なので、一人で家で猫の世話をしているのだと・・・・
4月いっぱいでだんなさまが退院してくるので、それまではがんばるのだと言っていた。
啓子さんちの重なる不幸を知り、愕然とした。

その後、連絡がぱったりと途絶え心配していたところ、つい先だって、啓子さんが最入院したことを聞いた。妙に胸騒ぎがした。
見舞いに行ってよいものか迷っていた。
そのさなかの今朝の電話だった。
葬儀はやらず身近な者だけの密葬だという。
身近じゃないのに、最後のお別れに呼んでもらった。

さぞかし苦しかったでしょう。
その苦しさから開放されたんだね。
もう、怒ったり、笑ったり、食べたり、一緒にできなくなったけど
でも、いつまでも、いつまでも、忘れないよ。
優等生の啓子さん・・・
天国で、あんなにやりたかったパソコンをやってください。

遠かった PIT INN

https://mccoy.jp/mt/blog/diary2006/up/0600601-1.jpg

市ヶ谷から新宿までたったふた駅なのに・・・・
新宿までたどり着いたのは、出発して50分後だった。ああ、しんど

市ヶ谷から四谷までは歩いておよそ15分。だとしたら、四谷から新宿だってそう遠くはないだろう。と、浅はかな考えだった。二駅だから30分もあれば着くだろうと、防衛庁前から新宿へと徒歩で向かった。これが12時30分。
足をかばいながゆっくり歩いて30分も経ったろうか、「そろそろ新宿じゃないかなぁ」と思い、途中あった交番で訊いてみた。うだるような夏日の中、重い荷物を持ってそろそろへたってきていた。

「まだまだ遠いよ そうさなぁ あと20分以上はかかるだろう」と、オマワリさん
「え〜 そんなにぃ?」とわたし。もうショック状態(^^;
道路を隔てた反対側にバス停があるから、バスで行ったほうがよいといわれ、歩道橋の階段をぐったりしながらのぼる、うら若き悲惨な乙女一人(ウソ)

バスがきた。
あれれ、前から乗るのかよ。それに乗車券を取るところがないじゃないの?
キョロキョロ、辺りを見回す。おのぼりさん約1名。
はは〜ん、これは均一料金だな?と察したので(頭いいぞ)、200円を箱に入れて、無事バスに乗った。
座っていたおじぃちゃんに「このバスってどこまで行っても200円なの?」と訊いたら、やっぱりそうだった。
それから、おじぃちゃんと、赤ちゃんを連れた若い夫婦と、私とで新宿に着くまでおしゃべりバスの旅となった。この間駅3つ。
東京では、バス料金は、たいてい200円なのだと。
ふ〜ん。じゃもっと前から乗ればよかった。あ〜損した。
埼玉の田舎では、どういうふうにしてバスに乗るのかを、偉そうに教えてあげたヽ(^o^)丿

へとへとになりながらも、ようやく新宿5丁目へたどり着いた。
市ヶ谷を出てからおよそ1時間後のこと。
新宿へ着いてからも、場所を探してうろちょろしていたし、目的の場所へ到着したのは、1時半を回っていた。たった二駅なのに、なんて遠い道のりなのだ。

昼の開演は14時30分とのことで、時間の間もあったし腹も減っていた。
すぐそばにランチをやっている居酒屋があったので、暖簾をくぐった。
汗だくだくて、とにかく冷たいものが欲しかった。
ふと頭上を見ると「美少年」というお品書きが目にとまった。
「夜から仕事があるからなぁ・・・」と、チラッと頭をかすめたが、「ま、いっぱいくらいならいいだろう」と、「冷えた美少年1杯」を注文した。

間髪いれずに、女将らしきばぁさんが、「はい、うちには美少年が二人います」と言う。
しゃれたばぁさんだ(はい、私もばあさんです)と、なんだか嬉しくなって、
目の前のカウンタのおじぃさんを何も言わずに指差した。
女将さん「はい、そうですよ。これがうちの美少年です」
私「昔の美少年でしょ?」
美少年のじぃさん「・・・・・」

そのお店は、ジィさんふたりと、おばぁさん一人、計3人で切り盛りしているお店だった。
客の私が入ったので、店は計「2じぃと2ばぁ」とになったというわけだ。
その店ではモダンジャズがBGMとして流れていた。
美少年を片手に定食をぱくつきながら「へぇ、ずいぶん洒落た音楽流しているんですね」というと、その理由を教えてくれた。
奥にいたもう一人の美少年が、むかしプロのジャズマンだったらしいのだ。
トランペットを吹いていたのだとか。だからお店ではジャズばかり流すのだと。

居酒屋と美少年とジャズ
奇妙な取り合わせの店で、ご機嫌な音楽を聴きながらPit Inn の開演を待ったのである。

ランチはもんじゃで

https://mccoy.jp/mt/blog/diary2006/up/060528-2.jpg

このページに足をお運び頂いた方の中には“なんじゃ、こりゃ〜!”と思われる方がいらっしゃるかと思います。この正体は「もんじゃ焼き」というものです。
ずいぶん昔のことですが、飲み友達をお好み焼き屋に誘いました。その方の出身は東北ですが、私の食べているもんじゃ焼きを指して「なんじゃこりゃ〜?」というたのです。「人間の食べるものじゃない」という顔をなさっておりました。
そのもっと昔、私がまだしわもなく、大変かわゆかった時代のことです。
ある男性(出身は四国でした)を、お好み焼き屋に誘ったときのこと。彼はもんじゃのほうを見ようとはしませんでした。「きもちわるい」って・・・
関西のオトコも東北のオトコも嫌いです。
うちの亭主は九州人ですが、もんじゃ焼きを食べるのを見たことはありませんヽ(^o^)丿

長々ともんじゃについておしゃべりをしていますが、「もんじゃ焼き」というのは、下町の子供の最高のおやつだったのです。毎日毎日、学校から帰ったら駄菓子屋にいりびたって、もんじゃを焼きながら子供井戸端会議をしていました。「今の政治はよくないよなぁ〜」ってなことを・・・(ウソ)
当時、キャベツが入っているもんじゃは10円だったのですが、お金がないので、5円の「グなしもんじゃ」が定番でした。想像できます? グなしもんじゃって(^^♪

時々、むしょうに「もんじゃ」が食べたくなる背景には、このような貧しい子供時代があったのですぅ
(今でも貧しいけど)

2006年1月~2012年5月