パソコン通信

20年も前
インターネットなんてものは巷にはなかったころのこと
当時パソコン通信というのが花盛りで
「うちらもやってみようか?」と始めた
そんときに「チャットというのは絶対にやめようね」と決めた
電話代が嵩むから(^^;

私は最初、EYEネットというところに入った
旦那はニフティサーブかな
読売新聞に「女性だけでプログラムの勉強をしている」という記事が載っていたのが理由
プログラムというものに猛烈に興味があった
QuickBasicってのをやったような気がする

そのEYEネットの、隣の部屋に、ヒンのよろしいどこぞのマスタがいた
毎日のように笑わせてもらった
私にいつもケンカをふっかける、MarCというクチの悪いお人もここにいた(今は2児のパパ)
このMarCが私をPC-VANのK3UGに誘った
「桐がいいぞ」ってね

それからはK3UGに入り浸り
イカスパゲとかエビなんて名前で朝までチャットしてたのもこのころ
hiroさんなんて「委員長」というあだ名でとっても怖かったんだ!
アラシなんかあるとビシっと言ってくれて
とても頼りになったなぁ

最初に「チャットしない」という決まりはどこにいったのでしょ
もちろん勉強もいっぱいさせてもらった
顔はくりまんじゅうに似ているらしいけれど
本を出しているほどの桐の達人
どれだけいろいろなことを教わったことだろう・・・

そのあとにPC-VANからNIFTYに浮気をする
なんでNIFに行ったのか思い出せないのだ
Texかなぁ・・・
あ、在宅ワークかも知れない
そのあたりはモヤモヤと霧がかかっている

そういえば少し前
PC-VANでお世話になった人が
テレビに出ていてびっくりした
放送大学でTeXを教えていた
PC-VANから一緒にNIFTYに行ったMさんは大学の先生になった
今でも毎年年賀状をくれる
PC-VANのあとはしばらくNIFTYでTex三昧
友人と「ボード乗っ取りぃ」と押しかけていき書きまくり(^^;

私のパソコン通信はPCの勉強の歴史でもある
なんでみんながこんなに親切だったんだろ・・・
Webで知らない人に質問はなかなかできない
内気だからね(Res却下)
パソ通はほんとうにありがたい存在だった

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